The Cobra ザ・コブラ | レスラー, マスクマン, プロレスラー
ファンの声援に「うれしかったですね。私はプロレスしかできない男ですから。すべて人生、プロレスにかけてきたんで。こうしてまた、藤波さんのリングで立たせてもらうこと、スタッフの皆さんに感謝しますし、先輩方はじめご来場のファンのみなさまにこの場を借りて御礼を申し上げたいと思っております。次の課題としてさらにご声援いただけるように、残り成長していい試合できるように頑張っていきたいと思います」と意気込み「課題は山積してますので、特に今の業界は以前の昭和プロレスの黄金時代のように、藤波さん、先輩方通じて時代をまた迎えられるように、みなさんで一丸となってがんばって、お互いの目標の課題をひとつひとつクリアして結果が出るように頑張っていきたいと思います」とまだまだ現役を続ける考えも披露していた。
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全盛期の体重は99キロ。この日、リングに登場した姿は、明らかに増量していた。20日の試合後、記事と写真をネット配信すると主に批判的なコメントが殺到した。コブラ自身は「見た方の印象で。徐々にリングに慣れていくといい試合につながるっていけると考えています」と気にする様子はなかった。そう言えば、試合前、ジョージも全盛期と比べてお腹の辺りが明らかに膨張していた。そのことを聞くと「ヘビー級になりたくてSWSへ行ったので、そのままの流れで今の体になっています。まぁ、不安はありません。いい試合につながると考えています」とコブラと同じ言葉を残していた。
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コブラツイスト(Cobra Twist)は、プロレス技の一種で、極技(ストレッチ技 ..
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――異様な展開の連続だったザ・コブラvsザ・バンピートですが、試合中にさらなるあり得ないことが起きたそうですね。
「当時、俺はこの試合を大阪の自宅で見ていたので、映像はテレビ朝日系列のABC朝日放送で流れていたんですが......その試合映像が途中で止まったんです。試合がストップして、コブラのテーマ曲が流れて、フォトムービーみたいに試合の模様が写真で紹介されました。あの有名なCMのように、小田和正さんの『時をこ~えて』という歌声が聞こえてきそうな感じですよ」
――試合の映像が止まって、写真が画面に映ったんですね?
「そうです。ワールドプロレスリングはテレビ朝日のネット中継なので、地方局であるABC朝日が独自に編集することはあり得ないはず。もしかすると、この試合の入場シーンで俺の脳がバグってしまったから、記憶が混濁しているのかもしれない。なので、本当に試合が止まって写真だけになったのか、誰かに調べてほしいんです」
――新日本プロレスの公式動画配信サービス『新日本プロレスワールド』は、ザ・バンピートがマスクを脱ぐシーンから、最後にコブラが勝つ結末まで流しています。試合映像が止まったことが事実なら、どうしてそんな放送になったのかが気になりますね。
「俺もABC朝日放送の関係者に聞いてみようかなと思ってます。とにかく、その時の記憶が本当なのかを解明したいんです。本当は最後まで放送されていたのに、混乱していた俺が『週刊プロレス』や『週刊ゴング』などで見た試合の写真のほうを覚えていて、フォトムービーで終わったという記憶にすり替わっている可能性もありますから」
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――今回の語り継ぎたい名勝負はどの試合でしょうか?
「前回、2代目タイガーマスクについて語りましたから、そうなると同時期のマスクマンであるザ・コブラを話さないわけにはいきませんね」
――ザ・コブラは、新日本プロレスのジョージ高野さんが、海外遠征中の1983年夏にカナダのカルガリーで変身したマスクマンですね。
「そうです。さまざまな試合がありますが、その中でパラレルワールドに入るというか、すべてが歪んでしまった試合があるんですよ」
――どういったことなのか気になりますね。その試合は......。
「ザ・コブラvsザ・バンピートです。俺はこの試合をテレビで見ていたんですが、『これはなんやねん!』という、理解ができない衝撃が色濃く残っています」
――この試合は1983年11月3日に蔵前国技館で、NWA世界ジュニアヘビー級王座決定戦として行なわれました。コブラは日本のマット初登場の"凱旋マッチ"でしたね。
「この試合は、両者の入場シーンが今でも語り草になっています。まずバンピートが入ってくるんですが、明らかにマスクとタイツのカラーコントラストが悪いんです。
タイツはブルーを基調に赤色の星などを散りばめたデザインなのに、マスクは白ベースに赤いコウモリが描かれていた。『もう少し色味を合わせられなかったのか?』という違和感を覚えざるを得なくて。しかも、上半身が『ホンマにジュニアなんか』というくらいデカかったんで、そこで頭が混乱し始めました」
> 初代タイガーvsザ・コブラ - 1996.11.20 · 13:56
ジョージ高野とザ・コブラ。2人とも味わい深い愛すべきプロレスラーだった。(記者コラム・福留 崇広)
試合後、コブラはいつ以来の試合かと問われると「長い時間が経っていますね。確かゼロワンの福岡のボウリング場があるところ以来」と振り返り、2002年8月24日、ゼロワンの博多スターレーン大会以来、約16年ぶりの復活だったことを明かした。久々のリングに「尊敬する先輩みなさんのリングなんで私もとても光栄に感じております。これからの課題として、藤波さん、そして、ここのリングに参加する方々が努力してさらにお客さんをたくさん呼べる団体になっていただきたい。そのために私もできる限り先輩のお役に立てれば光栄かなと考えております」とレスラーとは思えない丁寧な口調で言葉をかみしめていた。
ザ・コブラのプロフィール・画像・写真 | WEBザテレビジョン
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この日の「ドラディション」では第4試合に昭和の新日本プロレスのジュニア戦線で活躍した覆面レスラー、ザ・コブラが復活した。新日時代は宿敵だったヒロ斉藤(56)とタッグを組んでブラック・タイガー、KENSO(43)と対戦。試合は斉藤がダイビングセントーンでタイガーを抑え、勝利した。コブラは1983年11月3日に新日本マットに出現。NWAとWWFのジュニア2冠に輝くなど85年6月まで斉藤、越中詩郎、高田延彦らと戦いを繰り広げた。
ザ・コブラ復活の大ハッスル「またリングに立たせてもらって感謝」
レスラーとしての活動を「私は常にプロレスラーですから。いつもコンディションは整えています」と断言した。その一方で「建築関係の仕事をしています」と明かし、現在の住まいを「この前は北海道とか」と不明な部分はあったが、仕事については「北海道から九州までいろんなところに行っています」と充実している日々をうかがわせていた。