【世界の名車】1960年代に400馬力オーバーの怪物「ACコブラ」


それまで上品さが特徴だったACエースはスネークダッシュの”走る爆弾”に変身し、大きな反響を呼ぶ。やがてエンジンは4.7リットルに換装され、5万台以上を売り切る空前のヒット商品となったのである。
1965年には、何と7リットルもの大排気量フォードV8をボンネットの下に詰め込んだ”427”が登場、比類の無い加速でアメリカン・スーパースポーツカーの名を不動のものにした。400hpを軽く超える強力なパワーを受け止めるため、鋼管フレーム大径化や足回りがダブルウィッシュボーンに変更されているが、その軽量なボディも相成って停止時からの全開加速ではテールを左右に振りながら豪快に加速する"スネークダッシュ"でドライバーを洗礼する。驚異的なその加速力は、スタンディングスタート0~400m:12秒台を叩きだすという怪物だ。これらコブラ289と427がレースに記した足跡も、実に大きなものがあった。アメリカ各地のイベントは言うに及ばず、イギリスのスポーツカー・レースでも猛威を振るい、特製のクーペはル・マンやデイトナなど国際級のビッグレースでも常に優勝候補の一角を占めた。その結果、今やコブラは自動車の歴史に燦然と輝くヒーローとして、いつも懐かしまれる存在となっている。
モデルとしてはコンペティション、セミコンペティション(S/C)、ストリートの3種類がラインアップされており、名前にちなんで427台が生産された。


歴史が長いだけあって、そこから彼らが手掛けてきたクルマ達はまさに種種 ..

終戦以降は軍隊を離れ、養鶏を営んだシェルビーですが、ワトキンス・グレンで開催されたロードレースに出場したことをきっかけに、モータースポーツに魅せられていきます。

その中で人気のあるモデルといえばシェルビー・コブラ。世界的には数十社のキットカーメーカーがあり、日本にもERA、コンテンポラリー、カークハムなどを中心に、1990年代以降、有名無名合わせて相当な台数が輸入され、マニアックな人々に愛されている。

どうして使わない!?「コブラのススメ」 | Gridge[グリッジ]

しかしル・マン優勝の年、早くも彼はレーシングドライバーとしてのキャリアに終止符を打つ決意をしていました。

アメリカ車にそれほど興味を抱かない人でも、それなりのクルマ好きであれば「コブラ」という車名を耳にし、その形を目にしたことがある人は少なくないだろう。

ACコブラとシェルビーコブラの違いとは? 伝説のスポーツカーの歴史

現役を引退すると、すぐにシェルビーは世界中から集まった数名のメカニックとともに、「シェルビー・アメリカン」を設立。

英国製のオープン2シーターは、趣味のクルマとして根強い人気があるようですが、数々のロードスターの中でただ1台、仲間外れ的な扱いを受けているのがACコブラ。バックヤードビルダー的に派生した英国の小規模メーカーは、エンジンを他メーカーからの供給に頼っているケースも多いのですが、ACコブラの場合はアメリカ製の大排気量V8を搭載していることから、そうなっているのかもしれません。今回はACコブラに注目です。

コブラ427S/Cは、現在でも人気が高く、数千万円から1億円以上の価格が付くと言われています。 コブラの歴史

ACコブラを生産していた自動車メーカーはイギリスのAC、より正確に言うならACカーズ(AC Cars。ただしThe Weller brothersとして設立されたものの、社名は何度も改称され、一度ならずも清算された経緯を持っています)で、英国で設立された最も古い独立系自動車メーカーのひとつとして知られています。

ハリーとジョンのウェラー兄弟が1901年に興したThe Weller brothers社は1903年に20HPのツーリングカーを完成させていますが、メーカーとしての初作は1904年にリリースした、Auto-Carrierと呼ばれた配達用の3輪車でした。


AC コブラの歴史と最新のメカニズムが組み合わされられたニューモデル「AC コブラ GT ロードスター」。

ちなみに、このとき彼らは、すでにふたつ目の社名、Autocars and Accessoriesを名乗っていました。歴史が長いだけあって、そこから彼らが手掛けてきたクルマ達はまさに種種雑多、そして彼らが名乗ってきた社名も数多くありました。

とにかくトガりたいアナタへ 中古で始める“コブララバー”のすゝめ

また生産してきた商品も3輪の貨物運搬車から鉄道車両(レールバスと呼ばれる軽便モデルだけでなく“本格的”電車も!)まで多岐に渡っています。それを語るだけでも書籍が何冊も編めるほどの内容があって(個人的には英国の博物館を巡った際に何冊か購入しています)、今回はその辺りは端折って、2座スポーツのACコブラに関わる第二次世界大戦後のストーリーを続けることにしましょう。

アメリカの「歴史遺産」という栄誉を得たシェルビー・コブラ・デイトナの数奇な運命 ..

そしてコブラVSコルベットの初対決となった、カリフォルニア州・リバーサイドで行われたレースにて、大差で勝利を収め、全米中にシェルビー・コブラの速さを見せつけたのです。

コブラ50年の歴史を振り返る! 『AEROJET LS』50周年 ..

「(Cobraを)買おう!・・・さもなければ走り抜ける(Cobraに)注目しよう!」のコピーと共に登場したShelby-AC Cobra最初のカタログ。表紙のクルマはプロトタイプでシャシー番号CSX2000、量産車との最大の違いはリアブレーキがインボード式のディスク(量産車はアウトボード式ディスク)であった。撮影場所はエンジン+TMを積み込んだ、カリフォルニア州サンタ フェ スプリングスの目玉マークでおなじみのディーン・ムーン・ショップ近くのゴルフ場。ドレスアップして立つ女性はキャロル・シェルビーの秘書。

427は427ci(キュービック・インチ)排気量7,000ccを表しています。 COBRA MEDALLION | コブラメダリオン ..

14歳で免許を取り、ハイスクール時代にはJeepの前身 ウィリス社のクルマを乗り回し、ドライビングに熱中。

AC Cobra: The Complete Story | Laban, Brian | History of Technology

大学卒業後自動車雑誌の編集部へ入社。アメリカ車を皮切りに輸入中古車やスーパーカー専門誌の編集部を経て独立。現在も紙媒体の自動車雑誌で編集および執筆を行なっている。正規販売ディーラーや中古車専門店などに取材を行なうことが多く、現場でしか聞けない業界の裏話的なものも取り扱い中。好きな車はフランス車。

キットカーの人気モデル、シェルビー・コブラ。その歴史は、アメリカを代表するレースカーを目指した苦難と奮励に彩られている。

ACコブラのベース車であるACエースは、1953年に発売されたブリストル カーズ製の直列6気筒エンジンを搭載したスポーツカーでした。
しかし、60年代に入ってブリストル カーズがエンジンの生産を停止したことでACエースはエンジンを失い、生産中止の危機に陥りました。

そこにキャロル・シェルビーが、軽量でスポーツカーとしての素性の良いACエースにフォード製の260キュービックインチ(4.2L)のV8をエンジンを調達したことで、1962年に英米合作とも言える「ACコブラ」が誕生しました。(1キュービックインチ=16.387cc)
シボレーのエンジンも検討されましたが、コルベットのライバル車種になることを懸念したシボレーからの提供を断られたと言われています。

受け継がれる歴史と伝統~ トップタイム B01 シェルビーコブラ

1970年代に倒産した英国の自動車メーカー・ACカーズが、米国人レーサーのキャロル・シェルビーと合作したのが「ACコブラ」。今回紹介するのは、そのレプリカ車キットとして高名なAKスポーツカーズの「AK427」シリーズの最新製品「Generation III “Supa Lite” Body/Chassis」。ただし、年間に5台しか生産されないという同社工場で組み立てられた「ファクトリービルド」版だ。

コブラ」です。 ~受け継がれる歴史と伝統~☆トップタイム B01 シェルビーコブラ☆-トップ

ACコブラは、1962〜1970年までの間にMk I〜MK IIIまで生産されました。

MK Iの開発後、ACコブラのエンジン出力を向上させるために、289キュービックインチ(4.7 L)のV8エンジンが搭載されました。
1963年にはACコブラMK IIの開発が始まり、フォード製390キュービックインチ V8エンジン(6.3 L)を搭載してレースに挑戦しましたが、エンジンがシャシーに勝ってまともにコントロールすることができず、レースができる状態ではありませんでした。

その後、さらなるパワーに耐える強固なシャシーの開発、前後のを式としたACコブラ Mk IIIを開発し、1965年に生産を開始します。
そのエンジンは、427キュービックインチ(7.0L)のV8に進化しました。

Reviewed in Japan on August 13, 2015

’62年、キャロル・シェルビーの提案で、イギリスのAC社が製造するライトウエイトスポーツカー、ACEにフォード製のV8を搭載したハイパフォーマンスカー、コブラが誕生する。その後ACカーズの業績悪化により’67年頃には事実上生産は終了してしまう。その希少価値故に、現在でも数多くのリプロダクションが存在し製造を続けている。

シェルビー コブラ ミニカー まとめ Miniaturecar Museum favorite

最初のカタログから、写真のクルマは表紙と同じプロトタイプのもの。中央下の写真は英国サリー州テームズ・ディットンのAC Cars社で組み立て中のプロトタイプで、エンジンマウントやステアリングなどの位置決めのために搭載されているエンジンは221cid(3622cc)ライトウエイト「Challenger」V8で、組み立て後にはエンジンとトランスミッションは降ろされて、1962年2月2日にアメリカへ空輸され、260cid(4261cc)V8 260ps/5800rpm、37.2kg-m/4500rpmエンジン+ボルグワーナー製4速MTが積まれた。特徴のある鋼管スペースフレームにハンドメードのアルミボディーが架装された。

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ACコブラは、デイトナ コブラクーペで1960年代のル・マンにて毎年フェラーリと争うほどの高い戦闘能力を発揮し、1965年には、289コブラでGT世界チャンピオンを獲得しています。
キャロル・シェルビーが確信した通り、ACエースのボディとフォードエンジンの組み合わせは高いポテンシャルを秘めた車であったことがモータースポーツでの活躍によって証明されたことになります。

イノベーティブなクラブを開発し続けるコブラブランド(COBRA GOLF) ..

260cidエンジンを積んだShelby-AC Cobra Mark Iのスペック。サイズはホイールベース90in(2286mm)、全長151.5in(3848mm)、全幅61in(1549mm)、全高49in(1245mm)、トレッド前/後51.5in(1308mm)/52.5in(1333mm)、車両重量2020lb(916kg)。サスペンションは前後ともAアーム+横置きリーフスプリングの独立懸架、ブレーキは4輪ディスク、ステアリングはウォーム&カム式、タイヤは6.70×15。0 - 1/4mile(402m)加速13.8秒、最高速度153mph(246km/h)。価格は5995ドルであった。Mark Iの生産台数は75台といわれる。

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オリジナル コブラの生産台数は、初代260コブラから427コブラまでを合計しても1000台足らず。
289コブラ(600台)と、427コブラ(347台)に、デイトナ コブラクーペ(6台)+α(260コブラ、390コブラなど)です。

日本では、俳優の岩城滉一さんがオリジナル コブラを所有していることで有名です。
ACコブラはコブラのマニアだけではなく、エンスージアストにとっても貴重な車なのです。