まだ完全復活とは言えないから病気治すのに専念して新しいベーシスト固めて欲しい ..
そう、病気ともケンカ。ライブもケンカ。だから負けたくない。そしてそれが僕の魂の灯を延ばしてくれる。誰に教わったわけでもなくて尼崎で鍛えたこの根性があるから。そう信じてるし、それがTAISHOという生き方だから。
「あそこでヨースコーとポンがCOBRA辞めてなければ今頃」 スレも立てろ
「反核」ソングとして有名な曲。映像を伴うとかなりの迫力。
キリスト教を批判して大問題になった曲。
Crassがのちのハードコアパンクの精神的基盤を構築し、大きな影響を与えた事は間違いない。(個々のバンドが意識してるかどうかは別として)以下、「アナーキズム」の影響が大きい英国のハードコアバンドをいくつか紹介する。
Crassの直系、というか直弟子(?)ともいうべきバンド。その歌詞のほとんどが強烈な反権力とアナーキズムに満ちたメッセージで一分の隙もない迫力であるが、音楽的には結構多彩で案外聞きやすい。「アニマルライツ(動物の権利)の概念」を最初に持ち込んだバンドでもある。のちにCrassのボーカル、スティーブ・イグノラントが加入した。
80年代ハードコアパンクの代表的なバンドのひとつで、「ノイズコア」というカテゴリーの先駆者とも言われている。「ノイズコア」とはそのディストーションで強力に歪みまくったギターサウンドを指して言われる。筆者も最初聞いた時には「シャー!」としか聞こえない?強力なギターにかなりの衝撃を受けた。80年代に来日した数少ないハードコアバンドのひとつでもあり、そのせいなのか、日本の80年代ハードコアは彼らの影響がかなり大きいように思われる。
Chaos UKと並ぶノイズコアの雄で、やはり強烈に歪みまくったディストーションサウンドが特長。彼らもアナーキズムの影響がかなり大きく、反体制的メッセージを強力なサウンドで連発する。
有形無形を問わず、「アナキズム」の思想・影響はパンク・ハードコアパンク、及びニューウェーブ等を含め後のかなりのアーティストに影響を与えていると思われる。ハードコアパンクの場合直接政治的な思想が強いが、それ以外のアーティストはむしろ「自由がもたらす人間本来の力」という意味でその精神を受け継いでいると思われる。(これは音楽だけでなく、一部のアートなどにも同様のことが言える。)政治的なアナキズムが現実世界に適合するかどうかははなはだ疑問であるが(しかし社会主義・資本主義ともに失敗した21世紀の世界では政治的になんらかの役割を果たす事も十分考えられるが)その自由な精神性は今後も様々なシーンで継承されてゆくことだろう。
いや。キツイよ。リハビリの基礎は叩き込んだけど、僕の場合、ただリハビリするだけではダメ。リハビリ+唄うこともあるから。そこはもう独学。幼少の頃から波乱万丈な映画のような日々を過ごして、孫もできて、ホッとできる日々が来たかと思ったら、ある意味最後のプレゼント。これを乗り越える僕の生き方を見て欲しい。難病ではないにしろ、何らかの病気になる可能性は誰しも持っている。僕の場合は病気で30年早く80歳の身体になっただけで。病気になったからって隠すような自分ではない、病気でも仕事してまっせ! ライブもやりまっせ! って。
TAISHO(DOG FIGHT)×吉田 豪(Rooftop2017年6月号)
日本を抜いて世界第2の経済大国となり、急激な経済発展の進む中国ではロック、ポップス、メタル、パンクなど近年音楽シーンの活性化には著しいものがあるが、その中にあってOiパンクシーンも非常に盛んになっており、このバンドはそのシーンの代表的なバンドである。見た目通りの荒々しく男臭く汗臭いOIパンクを強力にゴリ押しするスタイルは非常に魅力的である。尚、下記動画
には彼らがコテコテの格好で天安門広場を得意げに闊歩して当局とモメたりしている様子が写っており、リアルな中国のパンクシーンの状況がよくわかる実に興味深い映像である。
The End
タイ、フィリピン、シンガポール、インドネシア、マレーシアなど東南アジア各国でOiパンクはいま非常に盛んなのだが、このバンドはインドネシアのOiパンクシーンにおける代表的なバンドである。テクニックとかそういう次元ではない、なんともいえない初期騒動と独特の「味」のあるいいバンドである。
現在アジア各国でOiパンクシーンは非常に盛んであるが、やはりアジアのOiパンクの魅力は停滞し衰退しつつある欧米や日本と違い、テクニック以前のパンクの重要な要素である「初期衝動」や勢い、疾走感、そしてなんとおもいえない独特の「味」があり、先進国のパンク、いや音楽そのものが忘れてしまっている「魅力」に満ちているのである。今後はアジアを始めとした新興国からより素晴らしいアーティストが多数輩出されることであろう。
東西冷戦が終結し、米国の一極支配から一転し欧米・日本など先進国が没落し、代わりに新興国が台頭してその影響力が増しつつある現在の世界。混迷の度合いが増せば増すほど、今後はより「ナショナリズム」ではなく「パトリオティズム」が人間のアイデンテティとして重要になってくるのではないだろうか。こと日本においても、明治以降の中央集権体制が高度経済成長、バブル及びその崩壊を経てその限界を露呈し、近年地方自治の方向に向かいつつあるのもそれと無縁ではあるまい。一概に可否を論ずるべきではないかもしれなが、これからは「Oi」の思想は我々が混迷した現代を考えるひとつのキーワードとなるのかもしれない。
うん。でも20年来付き合いのある接骨院に行き、整形外科を勧められて、整形外科に行った時…「その滑舌の悪さはいつからですか?」と言われ、「そう言えば最近、右手も固まるなぁ」という話をしたら、「すぐ大学病院行かなあかん」って言われて。CT、MRIを撮って、脳梗塞ではないと分かったけど原因が分からなくて、RI検査したら、大脳皮質基底核変性症という病名を言われた。10万人に2人いるかいないかの病気で、発病から何年で寝たきり、何年で死亡と言われ、いろんな合併症もあって難病の宝庫らしいんだけど、今こうして明るいのは、オレ強いからね。本当に。負けねぇもん。
ヨースコーまだ死んでないの? 肝臓癌治ったのか? ID:???(29/905). 垢版 |.
Tシャツ無事届いてるみたいで!!っていうか、コブラのヨースコーにTシャツ送るのすっかり忘れてたけど朝思い出して送ったし、あとは10日にストロングスタイルの田口くんにTシャツ渡したら今度こそホントにひと段落。
1980年代半ばにインディーズブームを牽引し、メジャー移籍後はどんどん大きくなるフィールドで、思うままに楽しんでいるかのように見えたチャーミーだが、自分たちバンドメンバー以外の思惑がいろいろ入ってくる状況に、混乱することも多かったようだ。
再び動きはじめたラフィンノーズは、ポンが主宰する新たなレーベル「Letsrock」をベースに、ライブのブッキングからチケットやグッズの販売、CDジャケットやグッズのデザイン、ライブをする地方への移動や機材の搬入搬出などまで、すべての活動をほぼメンバーのみでおこなうという、純・インディーズ体制を築いた。
それはまるで、チャーミーとポンが大阪で出会ったばかりの頃に戻り、それを心から慈しみ、楽しんでいるかのような動きだった。
音楽性だけではなく、そうしたバンド活動にまつわる諸事の扱いも含め、新生ラフィンノーズがパンクのDIY精神を貫こうとしていたことは明らかだ。
「ポンと初めて会ったのは、19か20のときだから、もう40年以上の長い付き合いになります。それだけ長く付き合うと良い面も嫌な面も目につくけど、俺とポンって同じ方を見て同じ道を進んではいても、言うなれば“背中合わせ”の2人なんですよ。『こっちは俺が守るぜ。だから俺の後ろは、ポン、おまえが守ってくれ』みたいな。なんかそんな感じ。あいつと出会ったのは運命だと思ってるし、普通に『兄弟だな』って思う。気づけばそうなってますね。昔はそんなこと恥ずかしくて言わなかったけど、今はもう、本当にそうなんだなと思うよ」
ヨースコーさんのバンド「COBRA」に加入。 oiパンクという ..
ワンダラーズを再結成した頃から脳の病気はゆっくり進んでいたんだと思う。滑舌の悪さをスタッフから言われていて。
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ゲタカルビ 80年代初頭に日本流の「パンク」の概念とスタイルを初めてメジャーとお茶の間に持ち込み、ヤンキー、暴走族といった人達を中心に絶大な支持を集めた「アナーキー」のボーカル、仲野市茂率いるセルフカバーバンド。
アナーキーを中心としてザ・ロックバンド、中野茂バンド、セドロなど自分の関わったユニットのセルフカバー、及びピストルズなどのポピュラーなバンドのカバーを中心としたカバーバンドである。このバンドに関しては他のバンドと違い仲野茂の「リラックス感」がなかなかいい感じで、なんとなく今回のメンバーの中では「癒し系」に近い感じがした。そして当然お約束の「東京ズバーニング」も演奏!仲野茂の水吹きパフォーマンスも健在で、最前列の筆者は汗以上に中野茂が吹きまくった水をまともに浴びてびしょびしょになってしまいました(~_~;)
ニューロティカ 1984年結成。ボーカルのあっちゃんのピエロルックはインパクト絶大で、ともすれば色物バンドに見られがちだが、そんな要素も含めたパワフルで熱いステージとポップでシンガロングなコーラスのパンクサウンドが特徴。近年は氣志團やAV女優とのコラボも頻繁に行っている為、若いファンも結構多い。
結成28年を経ても、全く変わらぬ白塗りのピエロスタイルのあっちゃんは健在!時にコスプレしつつステージ狭しと全力で走り回るその姿はとても御年48歳には見えぬパワフルさでした。個人的には「ア・イ・キ・タ」と「Drinkin Boys」をやってくれたのが嬉しかった!ニューロティカのかなりのファンらしきお兄さん(おじさん?)と最前列でつい大合唱して盛り上がってしまった。「みんなで歌おうパンクバンド、みんなで歌おうニューロティカ」という彼らのキャッチフレーズは絶対ライブでなければ楽しめないのを実感。やはり生粋のライブバンドである。
↓まだギターが修豚の頃。20年くらい前のものと思われる。
OI-SKALL MATES 96年に日本のスカフレイムスやイギリスのバッドマナーズを愛するメンバーにより結成されたスカ・バンド。KEMURIやゲルググなどのスカコア、スカパンクに比べると名前の通りOiパンクの汗臭さ、男臭さが前面に出てるのが特徴。
今回初見。今までに全く聞いたことがなかったのだが、いい感じでスカとOiパンクが幾分オシャレに融合していて中々良かった。今回出演している他のバンドがどちらかというとストレートでラジカルなパンクバンドがほとんどだったので、いいアクセントになっていたように思う。
そして個人的に今回このバンドが素晴らしかったのは、カバー曲としてBlitzの名曲「New Age」を演奏してくれたこと!この曲は英国のOiパンクバンド、Blitzがそれまでのコテコテのハードコア寄りのOiパンク路線から、80年代風のテクノ要素を取り入れたポップなOiパンクにセンセーショナルに脱皮した名曲である。ホーンセクションでこの曲のイントロを聞いた時にはあまりの選曲のセンスの素晴らしさに思わず感動してしまった。
今回彼らがカバーしたBlitzの「」(オリジナル)
PROUD HAMMERS Voの番長率いる和歌山の大重鎮Oiパンクバンド。今回のイベントの主催者である。
主催ということもあり2日間に渡り登場。ボーカルがスキンヘッド、ギターが女性、ベースがウッドベースというなんとも渋い構成。しかしそれぞれに男らしいゴリゴリのボーカル、女性らしからぬアグレッシブなギター、迫力のあるウッドベースが醸し出すOiサウンドは極めて強力。そしてなんといってもVoの番長がメチャクチャ格好いいのだ。鋭い目つきの性感な面構えに鍛え抜かれた肉体、まさしくこれぞ「男」!という感じの存在感が圧倒的でした。
COBRA ボーカルのヨースコー中心に1982年結成。英国におけるOiパンク発生と同時にリアルタイムで活動を始める。日本においてはコブラといえばOi,Oiといえばコブラ、というぐらいのOiパンクの草分け的存在で、おそらく日本にOiパンクというカテゴリーを初めて持ち込んだバンドであると思われる。90年代には元ラフィンのナオキ、ポンがラフィンから移籍し、メジャーにおいてかなりの人気を得るが人気絶頂期に解散。その後再結成し、一時期低迷するも現在はメンバーも安定し順調に活動中。
今回二日目のトリ前。今年はまさかのフジロック出演!に続き2回目の参戦である。往年の名曲連発しいきなりボルテージは最高潮!会場はダイブとモッシュの嵐で筆者もご多分に漏れず相撲のぶつかり稽古の如くモッシュしまくり。やはりOiパンクはもともとシンガロングなサビの大合唱がキモなので、皆が知ってる往年の名曲を皆で肩組んでユニゾンで大合唱する、これほどOiの醍醐味が味わえるライブはない。しかし数ある名曲の中でも個人的にはやはり「Tokyo Riot」が一番ボルテージが上がりまくる。ライブではいつでもイントロ聞いただけでアドレナリン大爆発である。
LAUGHIN' NOSE ボーカルのチャーミー中心に1981年結成。英国のハードコアパンクムーブメントを同時期に日本に取り入れ活動を始めるが、ハードコアから当時としては斬新なポップ路線を展開し絶大な人気を得る。パンクバンドとしてはインディーズやメジャーデビューなどの活動を率先して行い、後進への道を開拓した功績は絶大である。その後数多くのトラブルに巻き込まれ、一旦解散するが復活。30年に渡り全国で「Do It Yourself」を体現し活動中。
今回大トリ!ノンストップで機関銃の如く名曲の数々を繰り出す。最終大トリということもあり、会場のボルテージはピークに達する。もう理屈抜きである。「ラフィンノーズという生き方」がここにはある。そして最後は当然「Get The Groly」!ステージで出演アーティスト、観客入り乱れて大合唱!やはりシメはこれでなければ。基本的に往年の名曲が中心であったが、個人的にうれしかったのは最新アルバムの曲「Punk Man」を演奏してくれたこと。この曲は最近の曲ということもあり、若い頃とは一線を隠した、50歳を迎えたチャーミーのパンクロッカーとしての生き様と決意を歌った曲である。強気・攻撃一辺倒の若い頃とは異なった、初老のチャーミーの前向きなパンクロッカーとしての生き様をミドルテンポでせつせつと歌い上げるこの曲は、やはり中年期にさしかかった自分とオーバーラップし実に感慨深い名曲である。
総評
とても全ては書ききれなかったが、今回参加バンドは上記以外のどのバンドもさすがこの企画に参加してるだけあってそれぞれが個性的で素晴らしいバンドばかりでした。それにしてもこれだけのメンバーを集められるのは、やはり主催のプラウドハンマーズの番長氏によほどの人望と企画力があってからこそだと思います。
しかし今回の企画についてはあまりにも個人的にい入れの強すぎるラインナップばかりだったので、息つくヒマもなく全力で二日間楽しんでしまいました。やはりパンクのライブ醍醐味というのはジャンプし、モッシュし、ダイブし、拳を振り上げ、合唱し、全身で大暴れして楽しむことだと思います。そして思い入れの強い観客達が全身で思いをぶつけることによりライブがよりヒートアップしていくんだと思います。そんな思いをまざまざと感じた最高の2日間でありました!
当時のメンバー、ヨースコー、ナオキ、ポン、キーヤンの四人はまさに黄金メンバー。
結成30周年という節目の年を迎え、今年は「FUJI ROCK FESTIVAL '12」への出演など精力的な活動を展開してきたCOBRA。しかしボーカルのYOSU-KOは今年の初め頃から体調不良を訴えていたとのこと。バンドはこれまでYOSU-KOの「COBRAを続けたい」という意向で活動を行ってきたが、メンバーやスタッフの協議により、“YOSU-KOの体調を万全にすることが最優先”という結論に。既に決定していた2013年のスケジュールを全てキャンセルし、年内いっぱいで活動休止することが決定した。活動再開の時期は現時点では未定。
CD「COBRA コブラ」COBRA(YOSU-KO ヨースコー)
僕がその存在を知って虜になった1985年頃のラフィンノーズは、チャーミー(ヴォーカル)、ナオキ(ギター)、ポン(ベース)、マル(ドラムス)という体制だった。
このうち、結成時からのオリジナルメンバーはチャーミーだけだが、結成まもない1982年から参加しているベースのポンは、チャーミーとともにラフィンノーズを形作ってきた主要メンバー。チャーミーにとってはかけがえのない大事な仲間で、無二の友人であることは、ファンの目から見ても明らかだ。
だから、1989年にナオキとともにポンが脱退したときは、「ああ、これでラフィンは終わりか」と思った。その後チャーミーは新メンバーを迎えてラフィンノーズを継続させたが、1990年にはメンバーの1人が暴行事件で逮捕され、マルも脱退。
1991年にはついに解散してしまう。
ポンはラフィンノーズ脱退後、ナオキとともに関西パンクシーン出身のOi!パンクバンドCOBRAに加わり、メジャー展開して人気が高まっていた同バンドのメンバーとして、武道館のステージに立つ。
COBRAは1992年に解散したが、その後もポンは、COBRAのボーカリストYOSU-KOとともにCOW COWというハウスユニットを組むなど、充実したミュージシャンライフを送っていた。
一方のチャーミーはラフィン解散後すぐにソロアルバムをリリースしたが、音楽活動は以前より目立たなくなり、このまま表舞台から去ってしまうかのように見えた。
だが1995年、チャーミーとポンは再び意気投合し、ラフィンノーズの再始動を決意する。かつてのインタビューでチャーミーは、ラフィンノーズ再結成にあたり、「何をやってもいいんだけど、絶対にパンクロックでありたい」という意識を強く持ったと語っている。